四国のお遍路っていったい何なんだろう? 

弘法大師が修行のために遍歴して歩かれた跡を慕って四国八十八ヵ所の札所に巡礼する旅を「遍路」と言います。
遍路の道は、弘法大師によって開かれた「遍照金剛の道」、
遍路者は一様に「天の導き」のようなものを感じ自然に歩かされて行く無礙の大道です。 
お寺へ参れば先ず本堂をお参りし、大師堂に参り、納経所へ寄ってお参りし、
お納めした写経の受領印を押してもらうのが普通です。

遍路の道は長い旅です。362里、1450Kmにも及びます。 
阿波の国は「発心道場」、土佐の国は「修行道場」、伊予の国は「菩提道場」、讃岐の国は「涅槃道場」
と四つに分けられています。 

日本最初の英和辞典では、「Passport」を今日のように「旅券」とは訳さず、「往来手形」と和訳しています。
昔、他藩に旅をするとき、旅人は必ずお寺で「往来手形」を発行してもらわなければなりませんでした。
即ち身分証明書であり国内の旅券であります。
そして、この手形には、
「万一、病死つかまつり候わば、この方へ御沙汰申すに及ばず候、所の御作法をもって取置(埋葬)くださるべく候」
と書き込まれるのが常でありました。

死んでも連絡無用、という非情な片道切符は、当時の巡礼の旅路の性格を示していると言えましょう。
・・・・・中略・・・・
したがって、その旅の衣は当然のことながら死出の衣装をも意味し、浄衣であり白衣でありました。
・・・松尾 心空・・・

「人はみな決まった道を行くものだと、今までおぼろげに考えていたが、それがよく分かった。
ちょうど八十八ヵ所のように、決まったところを通って、先人たちの歩いた道を同じく自然に、里帰りの道のごとく、
何らかの生命の糸に導かれて、休みなく、死ぬまで進んで行くのだ。
死んでからの道も決まっているのかもしれないし、未生の間もその道は定まっていたのかも知れない。
ただその時々に応じて、勢いの加わるときもあり、波のように上下して騒ぐことはあっても、
定まった糸に導かれていることは変わらない」
・・・元奈良市長 鍵田 忠三郎・・・ 

元奈良市長の鍵田忠三郎さん(故人)は四つの難病で医者から死を宣告されたが、
弘法大師を頼って四国遍路に旅立ち、四国の大自然の中で難行、苦行して生死の限界をのりこえ全快している。
「一切のことに関してお導きをたまわり、お蔭で四つの大病を持ち、身を投げてかかった私が、
精神的にも肉体的にも、直接お大師と四国の山野の霊気に鍛えていただき少しく自信をもった」
と鍵田さんは大師のおかげで健康をとり戻したことに感謝している。 

神・仏を信心しないワタクシに何度か歩けば【おかげ】【感謝】とか少しは殊勝な気持ちが出来るものだろうか?
  四国のお遍路は既に5回廻っている。

そのうち2回は歩き遍路だ。1度は通しの37日間。今1度は区切り2回の40日間。
それぞれの回はそれぞれの回なりに思い出があり、懐かしい。 

お遍路を思いついたのは長年の会社勤めが終わり定年になった2001年5月のことだった。
このときは定年になれば「野宿のできる車を買って日本一周を」が夢だった。
で、先ずは手始め練習にとハリヤーで四国遍路に・・・出かけた。これが1巡目9日間の「車遍路」だった。60才。  
この「車遍路」の際、道中や結願所での歩き遍路の姿に感動したワタクシは翌々年(2003年)秋に「歩き遍路」に挑戦した。

「歩き遍路」もいわゆる「野宿」にこだわり、一人用のテントを買い一人寝用のシュラフを買い勇んで出かけたが、
荷物のあまりにもの重さ肩の痛さに泣かされて、テント・シュラフは勿論殆どの荷物を牟岐駅の「民宿あずま」から
自宅宛返送しお宿泊りでやっと結願できた。これが「2巡目37日間歩き遍路」である。62才。 
「歩き」でのお四国は強烈な印象を頭と体に打ち込まれた。 

「又行きたい、又行きたい」とつのる思いは山々なれど先立つお小遣いが貯まらない。
 やりくりするのは僅かな年金のみ、お四国では1日平均1万円は用意しなければならない。
僅かな年金のお小遣から少しずつ隠忍自重の3年間、何とか目途がついての3巡目に挑戦したのは2006年の春だった。

前回の荷物の重さに参った経験から、今回はとにかく「身軽に」を心がけたが
今度は風邪を引いて調子が悪くなり、その上横峰寺での山中での大嵐で完全に体調を壊された。
やむなく一旦自宅に帰り区切り打ちで何とか結願した「3巡目また又遍路40日」。65才。

その後2008年~2011年にかけて旅行社のツアーとマイカーでの「4巡目の夫婦遍路」、70才。
2012年から旅行社&マイカー&友との野宿歩きの混合遍路「5巡目のお遍路」。
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